僕の病気と仕事との向き合い方

職業生活と健康の両立についての思考実験と実践。

6月 鍼治療を始めた

妻の勧めで、主に抗がん剤の後遺症である、抹消神経障害の症状である難聴や痺れ、むくみ解消の目的に、鍼治療を始めた。

 

通院以外では、家事をやったり、週末に少し外出したりしながら、療養した。

5月 セカンドオピニンなどを経た選択

セカンドオピニオンを3つ申し込み、そのうち一つは、希望する先生に相談出来ないということで、結果として、2人の先生にセカンドオピニオンをして頂いた。

 

かなりレアな病気であるため、データを使った説明は出来ず、彼らの個人的な経験などによる説明であった。2人とも、最終的な判断は患者本人が納得した上で決めるべきという姿勢ではあったが、自分の病気に対する考えを深め、選択肢を広げてくれた。

 

セカンドオピニオンとは別に、マギーズ東京という相談施設にも出向き、看護師さんに話を聞いてもらった。そこの看護師さんは、中々他の人にはしにくい話を遮ることなく聞いてくれ、親身になって聞いてくれた。不安な気持ちが和らいだ。

 

他にも、自分の病気のフォーラムに出向いたりらインターネットや書籍等で集め、情報を集めた。そして、『今は』手術を受けない、という選択をし、主治医に伝えた。

 

通院している病院の医師は「早急に手術をうけるべきである。」という考えであった。しかし、

「手術の決断に踏み切れないのであれば、無理に踏み切らなくてもよい。病状が進行すれば、今よりも切除範囲が広範になるけれど、絶対に手術出来なくなるということは、考えにくい。」というセカンドオピニオンを受けた先生の言葉が背中を押してくれた。

セカンドオピニオン

手術について、すぐに判断が出来なかったので、主治医に希望し、他院を紹介してもらい、セカンドオピニオンに行ってきました。

セカンドオピニオンでは、①胸膜播種がある場合、手術する意義があまりないのではないか、
②造影CTの画像データ上、肋骨を数本取る必要があるかもしれない、ということなどを教えてもらいました。

その時点で、胸膜播種が自分にあるのか、そもそも胸膜播種とはどいうった状態なのか、知りませんでした。(教えてもらっていなかった!←主治医と抗がん剤期間中の担当医が違っていたため、情報共有が上手くいっていなかったのかもしれないです。)

葛藤

再発を防げる可能性が3割の手術を受けないということは、「罪」であろうか。

 

もし、僕が結婚をしていなければ、自分の人生、自分の命を、自分の価値観に基づいて自由な選択が許されるであろう。

 

手術を受けたくても受けられない方々からは、バッシングを受けるかもしれないが。

 

しかし、子どもはいないものの、私は結婚している身。と、なると、妻の考えもないがしろにできない。

 

そして、その妻は、病気が発覚してから、キツかった抗がん剤治療の期間、仕事の後に毎日病院に顔を出し、献身的に私を支えてくれたのだ。そして、彼女のその献身的な看病の原動力には「根治」という希望があったはずだ。

 

妻は、私に例え根治が3割の可能性であっても、手術を受けてほしい、という。

 

「手術を受けることで妻が安心するなら、、、。」と何度思ったことか。

 

妻は苦しんでいる。

夫に「手術は受けたくない。」と言われ、リビングで泣いている。

 

私と末永くおばあちゃんになるまで、一緒にいたいと思ってくれている。私を愛してくれている。その愛は間違いなく、本気だ。

 

妻を思うと、手術を受けないという選択は、はたして正しいのか、と疑問が生じる。

 

だが、しかし、もし反対の立場だったとしたら、つまり、妻が私の立場で「手術をしたくない。」と言ったら、私はどう反応するだろうか。

 

当たり前のことが、私は妻を心の底から愛しているので、私も今妻が思っているように「少しでも永く一緒にいたい。生きていてほしい。」と思う。

 

だが、本人が冷静に手術を受けるメリット、デメリットを比較検討した結果、手術を受けないと選択するのであれば、その選択を尊重したい、尊重しなければ、と考える。

 

私は、早く死にたい、と思っているわけではない。出来ることなら、長生きしたい。最期のときまで愛する人と笑い合って、しわを刻んでいきたい。

 

ただ、手術をすることが延命につながるかは、どうしても疑問が残るし、片肺での生活への不安は拭えない。限りがあったとしても、(身体が)自由な状態で、いろいろな場所に行ったり美味しいものを食べたりしながら人生を思いっきり楽しみたい。

 

日本では、医者に手術などの治療を提案された時、その提案を受け入れない人が少ない、という。

 

しかし、アメリカやカナダでは、医者に手術などの治療を提案された場合でも、それには従わない人が、日本より多いという。積極的に治療しないという選択が、患者の選択肢として社会的にも認められているようだ。

 

「家族の理解は可能な限り得るのとが望ましいけれど、手術のリスクや後遺症は、最終的には患者本人しか背負えない。だから、家族に反対されても、あなたが納得できる選択をしないといけない。」

 

と、主治医に言われた。

 

私はQOLを下げずに、自分らしく生きたい。

もちろん長生きもしたい。

リスクも少なければ、手術を受けただろう。

しかし、リスクや合併症、メリット、デメリットを踏まえた上で、今回の手術は、受けたくないという結論に達した。

 

積極的に治療しないという私の選択は、現在の日本では、少数派であり、多くの人の理解は得られないかもしれない。しかし、わがままだろうか。間違いなのだろうか。